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2011-06-10

ヴァイキング&中世北欧学修士課程(2年)

Einhamar in Gísla saga
前にも紹介した、間スカンディナヴィア的な「ヴァイキング&中世北欧学修士課程」は2012年秋からスタートする。
そのための準備が、いま着々と進んでいるようだ。
HPもでき(まだ情報は少ないが)、ここからパンフレット(PDF)をダウンロードできる。

パンフレットによると、一年目はアイスランド大学でコースワーク(60単位)をこなし、2年目の秋学期はオーフス大学・コペンハーゲン大学(デンマーク)、オスロ大学(ノルウェー)でコースワーク(30単位)を終え、最後の春学期は上記4大学のどこかで修論(30単位)を書くというスケジュールらしい。

「間スカンディナヴィア的」とは言ったが、スウェーデンとフィンランドが参加していないところに「ヴァイキング&中世北欧学」への距離の違いを感じる。ウップサラ大学くらい参加しても良かったのではないだろうか。

入学出願の〆切は2012年2月1日。興味のある方はぜひ応募してみてください。

2011-04-08

"MA in Medieval Icelandic Studies" í framtíð

「中世アイスランド学修士課程」の未来
---

今日は後期の授業最終日。午後には、コースの先生と生徒で、総括のミーティングが持たれた。
それについて、少し思うところがあった。

2011-03-26

Themes in Icelandic Archaeology - Gavin Lucas

気づけば前回の投稿から2ヶ月も経っていた。

まず、東日本大震災によって亡くなられた数多くの方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。
海外という安全圏にいる身で、大切な人、家や財産、思い出をなくされた方々、今も苦しい状況で闘っている方々へ掛けるべき言葉もありませんが、ただただ一日も早く、平穏が戻ることを願っています。

ーーー
「アイスランド考古学の諸問題」

ゲヴィン・ルーカスというイギリス出身の考古学者が講師。
授業は英語だが、奥さんはアイスランド人で在氷歴も長いので、アイスランド語はふつうに話せるようだ。
生徒も5〜6人(すべて女性)で、私ともう一人のアメリカ人以外はアイスランド人だったので、ディスカッションなんかでは時々アイスランド語も飛び交っていた。

スカンディナヴィア考古学は有名だし従事者も多いが、「アイスランド考古学」とはどんなものなのだろう、と思って取ってみた。
授業のトピックは以下の通り。

1. 概説
2. 考古学と歴史学(事例:アイスランド植民の年代同定)
3. ナショナリズムと民族性(事例:アイスランド人の起源)
4. 理論的傾向(事例:環境考古学)
5. 考古学と民族/民俗学
6. 考古学の組織化

2011-01-26

Torfi H. Tulinius - Samband við framliðna á miðöldum

明日のアイスランド語の授業の課題が、午後10時を過ぎてもアップロードされない。
予習無しで政治やニュースについてアイスランド語で話すのは無理なんですけど。

それはそれとして、今日はトルヴィの授業があった。
題して「Living with the Dead」(シラバス

異教時代からキリスト教時代にかけて、アイスランド人、スカンディナヴィア人の死者への態度、埋葬方法や死後の世界観から動き回る死者とのつきあい方まで扱われるようだ。
とくに死者の登場が多い「エイルビュッギャ・サガ」 が毎回採り上げられている。

2011-01-17

Helgi Þorláksson - Ísland og konungsvald

新学期の初めの一週間が終わった。
まだどの授業を取るか、決めかねている部分もあるが、今期はMIS以外の授業を多く取ることになりそうだ。
とくに、アイスランド語で教えられている授業にも出てみようと思っている。

そのひとつが、ヘルギ・ソルラクソンの「アイスランドと王権」という講義(シラバス)。
1100年〜1700年頃を対象に、アイスランド人と王権の関係、王権観の発展などを扱う、学部・大学院の共通講義。

2010-11-22

Viltu ekki rótlaus? - tvö ár námskeið á Norðurlöndum

MISが2年間のMAプログラムになるらしい。

なんでも、間スカンディナヴィア的なMAプログラムという計画で、この先2年間に対して大きめのファンドを当てたらしい。
詳細は未発表だが、1年目はアイスランド大学で今の制度と同じように授業を受けて、2年目はスカンディナヴィア他国の大学へ行けるという。

個人的には、1年くらいノルウェーにも勉強に行きたいと思っていたところなので、良い制度だと思う。多分私には適用されないが。

2010-11-04

Úlfar Bragason - Sturlunga saga

ウルヴァル・ブラガソンは、通常他ジャンルのサガに対して "歴史" として扱われることが多い「ストゥルルンガ・サガ」を、"文学" として分析することをめざしてきた人。
マグヌス改法王と従士
日本にもよく訪れている。

授業の焦点は「ストゥルラのサーット」と「フラヴン・スヴェインビャルナルソンのサガ」。
前者は、非常に珍しく、サガの「作者」として名前が伝わっているストゥルラ・ソールザルソン(1214-1284) の伝記的小話。
後者は、多数のサガの編纂物である「ストゥルルンガ・サガ」のなかで、唯一独立版のサガが伝存しており、"オリジナル" と編集後のサガの比較が可能、という特徴がある。

2010-10-22

Vésteinn Ólason - Saga reserch in the 20th century

今週の「方法論」の授業の担当はヴェーステイン・オーラソンだった。
前半はサガの研究史、後半の今日はとくに「アイスランド人のサガ(家族サガ)」へのアプローチ方法について。

話の骨子は以下の著書に基づいている。
アイスランド語版
  • Ólasson, Vésteinn. 1998. Dialogues with the Viking Age: Narration and Representation in the Sagas of the Icelanders, Reykjavík.

2010-10-08

Kenningar um sögur um Íslendinga

「アイスランド・サガ研究の方法論」
≫≫≫

'kenning' といえば詩語法の「ケニング」(代称法)を指すものだと思っていたので、theory の意味があるということにまず驚いた。
2010年秋期のMISの授業のひとつ。
人気が高く、MISの生徒以外の受講者も多いので、いつも教室の椅子が足りなくなる。教室変更してくれればいいのに。

2010-01-24

"Handritin heim!"


「マニュスクリプトを故郷へ!」
≫≫≫
1950-60年代のアイスランドのスローガン。
1944年に独立国として歩み始めたばかりの(ただし1904から自治、1918より同君連合)、特にこれといった資源もない小国にとって、ヨーロッパ、ひいては世界の文化の中で重きを置かれる中世のマニュスクリプトは、かけがえのない財産だった。

Handritin = the manuscripts(定形)は、具体的な物としてのマニュスクリプトというよりも、むしろひとつの概念としてアイスランドの自尊心の源となっていたようだ。

(写真:マニュスクリプトを載せたデンマークの沿岸警備艇を迎える人々。
レイキャヴィーク、1971年4月21日。The Manuscripts of Iceland, p.170)

2010-01-22

Handritin

"The manuscripts"
»»»

>写真は今日の授業の手土産にもらった「フラテイヤルボーク」(Gks 1005 fol) の原寸大コピー。
 ただのコピーとはいえ超有名写本なのでテンションは上がるが、大きすぎて(フォリオ:二折判、A3くらい)どうやって保管すべきか模索中。

2010-01-13

Fornaldarsögur Norðurlanda

"Sagas of Pre-history from Northern countries", i.e. "Legendary sagas"
»»»

後期のトルヴィの授業、"Fornaldarsögur Norðurlanda (Legendary sagas)" の初回があった。
基本的にやりかたは前期といっしょだが、週一になったかわりに、一回が40分×3コマに延長。
そして最後のレポートのほかに、授業内で一人数分間のプレゼンテーションが課されている。

2010-01-04

Gleðilegt nýtt ár, og vormisseri hófst

新年あけましておめでとうございます。新学期も始まりました。
***

本来の春学期の授業開始は来週なのだが、 今年のMISには本編の開始前に一週間の集中講義がある。
タイトルは ”The Viking Mind"。
MISではなくÞjóðfræði(民俗/民族学)が主催している講義で、アバディーン大学の考古学教授 Neil Price が講師。

2009-12-11

Kennsla haustmisseris lauk-"Íslendingasögur"


秋期授業終了。
1限終了後(9:30a.m.)の空→
»»»

先週末で秋学期の授業と試験が終わった。
しかしトルヴィの授業のレポートが残っているので休めない。
「「アイスランド人のサガ」 のうちのどれでも良いから丁寧に読んで分析せよ」というアバウトな課題だが、授業の内容に鑑みれば、「丁寧に」とはエギルの息子を溺死させた強風の風向きレベルまで注意してサガを読むことを指すのだろう。

2009-11-22

Njála

11月10日に授業の一環で『ニャールのサガ』(『焼き殺しのニャールのサガ Brennu-Njáls saga/愛称ニャーラ Njála)の舞台をめぐる小旅行があった。
シングヴェトリル、スカールホルト、サガ・センターのあとに向かったのが写真の場所。

2009-11-04

Claude Lévi-Strauss

クロード・レヴィ=ストロースがついに亡くなった。去年11月に100歳の誕生日を迎えたところらしいので享年101歳か。

2009-10-23

Finnst þér gaman að læra forníslensku?

「古アイスランド語の勉強は楽しいですか?」
»»»
今日は古アイスランド語の中間テストがあった。頭の中をパラダイムが浮遊している。
「古アイスランド語入門」は週2コマの文法の授業で、もはや古典といえるゴードンをテキストとしている。
» E.V. Gordon, An introduction to Old Norse, 2nd ed. revised by A.R. Taylor (Oxford: Clarendon Press, 1957).

授業は前半の文法解説と、後半のテキスト読解との2部構成で進む。
テキストの方では単に文の意味を取るだけではなく、単語ごとの文法要素を分析してゆく(品詞、性・数・格、人称・時制 etc...)。
予習は大変だが、とても訓練になる。

それにしても、知れば知るほどアイスランド語は文法要素の見本市のようだ。
基本変化にようやく慣れたと思ったら、アプラウトとかウムラウトとかブレーキングとかでまた色々とかたちが変化する。
 それでも、先生のハラルドゥル Haraldur Bernharðsson はとても楽しそうにアイスランド語の話をするので、かなり救いになる。

今週の授業では男性名詞 maðr (=a man) の不可思議な変化の理由を説明してくれた。
(cf. 現代語版変化表:Beygingarlýsing íslensks nútímamáls
例えば複数主格の mann-ir が menn になるまでには、以下のような「ストーリー」がある。
mann-ir > menn-ir > menn-r > menn-n > menn
(i-umlaut + syncope > assimilation)

こういう話を聞いていると、アイスランド語にはまる人たちの気持ちが少し分かる気がする。
たくさんの法則を駆使して不可解な現象を読み解く、ということ自体はよく出来たパズルのようで楽しいと思えなくもない。
あくまで謎解きを楽しむ時間があればの話だが。

クラスメイトのアイスランド語に対する習熟度もさまざまで、先生と互角に語学談義を交わす生徒もいれば、毎回のパラダイムの小テストに四苦八苦する者もいる(私は当然後者)。

そういえば今日は、テスト後にアールニ・マグヌースソン写本研究所(Stofnun Árna Magnússonar á Íslandi)の方に移動して(といっても同じ建物だが)、Codex Regius の本物を見ながら授業をするという粋な計らいがあった。

「王の写本」Codex Regius と呼ばれる写本はいくつかあるが、「スノッリのエッダ」の主要写本である GKS 2367 4to の方。
作成年代は1300-1325年。四折版で、ペーパーバックのゴードンより少し大きいくらい。
皮紙は黒ずんでいて装飾も少ないが、字体はびっくりするほど綺麗で、ぱっと見ただけでもかなりの文字が判別可能なほど。

さすがに有名な写本なので、クラスメイトのテンションも上昇気味だった。
1971年4月21日に、コペンハーゲンよりアイスランドへ返還された最初の写本のうちの一つ。
その際のセレモニーの様子は今もカルチャー・ハウスという博物館で見られるが、もう一つの「フラート島写本」が大きくて装飾も美麗なのに対して、Codex Regius の地味さは逆に目立つ。
しかし、その内容の価値は計り知れない。

現在はアールニ研究所ではなく、カルチャー・ハウス(The Culture House)で常設展示されている。

2009-10-14

Laxdœla saga 2

やる気が出ないときは嫌でもモチベーションの上がる仕事をするに限る。
というわけでサガを読もう。
「ラックスデーラ」の授業が先週で終わったので、忘れないうちに文献情報をまとめておきたい。
といっても、授業で言及されたトピックすべては書ききれないので、とくに面白かった数点のみ。
「ラックスデーラ・サガ」Laxdœla saga
このサガで何よりも印象深いのは女性の存在感、というのは前に述べた。
もしヒロインのグズルーンが男性だったら、このサガは「ラックスデーラ・サガ = 鮭谷の人々のサガ」ではなくて「グズルーンのサガ」と呼ばれていただろうと言った研究者もいるらしい。名前を聞き漏らしたが。
(後日、言及見つけた>Auerbach, Loren, "Female experience and authorial intention in Laxdæla saga". 1998. Saga-book, vol. 25, part 1, 1998, s. 30-52)


右の絵は、1993年にMál og menning社から出た一般向けのテクストの表紙。
» Laxdæla saga með formála, skýringum og skrám (Sígildar sögur 3), Aðalsteinn Eyþórsson & Bergljót S. Kristjánsdóttir (eds.), Reykjavík: Mál og menning, 1993.
15歳のグズルーンが見る夢に出てくる象徴で、それぞれが将来の4人の夫を表している。
(気に入らない帽子→手に入れてすぐに失う銀の腕輪→ひびだらけの黄金の腕輪→重すぎる黄金の兜)

この刊本は現代語綴り、注記なしだが、かなり詳しい序文と解説(語句・事物の注解、地図、系図等)、人名・地名索引が付いているのでサガを読むにはとても親切な構成。全部アイスランド語だが。

*植民譚
サガが植民者への言及から始まるのは常套だが、「ラックスデーラ」ではその中心も女性で、平鼻のケティルの娘、深慮のウン。
「ラックスデーラ」の主要写本である Möðruvallabók (AM 132 fol.,1330-70) では、彼女の名は Unnr で、異教徒(船葬される)として描かれている。
しかし、ランドナーマ・ボークでは Auðrという名で、「敬虔なキリスト教徒」と言及される。大きな違いである。
来週から本格的に読み始める「エイルビュッギャ・サガ」も始まりは同じ植民者からだが、そこでも Auðr。

*シグルズ伝承
グズルーン—キャルタン—ボッリのトライアングルについては、シグルズ伝承(いわゆるジークフリート伝説)のブリュンヒルドーシグルズーグンナルのモチーフとのつながりが早くから指摘されている。
とはいえ、グズルーンはキャルタンを殺させた後も長生きするし、キャルタンと結婚したフレヴナのほうが「悲しみに胸が張り裂けて」早世するので、シグルズ伝承のグズルーン(まぎらわしい…)のような壮絶な復讐はしないのだが。
これについては Rolf Heller という研究者が1960年頃からたくさんドイツ語で書いている。

*王権との関係
アールマン・ヤコブソンは、「ラックスデーラ・サガ」は「アイスランド人のサガ(家族サガ)」ではなく「王のサガ」に分類すべきだと主張した。
» Ármann Jakobsson, "Konunga saga Laxdœla", Skírnir 172 (1998), 357-83.

さらに、王のサガの編纂は、13世紀のアイスランドが、ノルウェー王国の一部となるために進めていた王権像の模索の一環だという大胆な主張が、修論をもとにした本書 ↓
» Ármann Jakobsson, Í leit að konungi: Konungsmynd Íslenskra Konungasaga, Reykjavík, 1997. (『王を探して:アイスランドの王のサガの王権像』)

大学の書店には平積みになっているが、英訳は出ないのだろうか?
ちなみにアールマンはアイスランド大学の助教授で、MISの運営委員でもあるのでよく見かける。今度聞いてみよう。

書いているものはここで確認できる。最近は Íf のモルキンスキンナの刊行作業にかかりきりらしい。

1240-50年代のアイスランドは、ノルウェー宮廷/王権との距離が著しく近くなる。
それと同時にアイスランド内部の闘争はエスカレート。
そういう状況が同時期に進んでいたサガの編纂に影響を与えていたというのは容易いが、いったい何を根拠にすればそれを「証明」できるのだろうか?

2009-10-09

bifröst, bekkurinn og netið


虹とクラスとインターネット
≫≫≫
今日は朝から嵐。
比喩ではなくリアルに飛ばされかけた。
でも嵐が去った後には虹が。

左下の赤い建物は国立兼大学図書館。
大きすぎて全体がフレームに入らなかっただけだが、ちょうど図書館からアースガルドに通じるビフロストに見えなくもない。

9月頭から始まった秋学期も半分が過ぎた。
来週は vinnuvika = work week という名の中休みで、一週間授業がない。
といっても山ほどの宿題と休み明けの中間テストがあるので、殆ど「休み」ではないが。

渡氷の遅れていたフランス人のクラスメイトが今日やっと到着したので、遅すぎる気もするが、クラスの紹介でもしようと思う。

私の所属するコース(MA in Medieval Icelandic Studies、略してMIS)は、2005年に外国人学生専用コースとして新たに設置されたもので、英語で授業を受けて英語でMA論文を書けば、1年〜1年半(論文の進度による)でMAが取得できるというもの。
アイスランド大学人文学部アイスランド語・比較文化学科とアールニ・マグヌースソン写本研究所との共催。
中世アイスランド学に関する学際的な基礎知識の提供を意図してるが、なかでも生徒各自が、実際にマニュスクリプトを自分で読んで解釈できるようにすることをコースの目標として掲げている。
公式HP

今年度の生徒は13人。出身地の内訳は以下の通り。
-----
アメリカ:2人(ひとりはロシア→アメリカ移民)
アルゼンチン(スペイン国籍所有):1人
カナダ:1人
ガリシア(本人は決してスペインとは言わない):1人
チェコ共和国:1人 
ドイツ:2人
フランス:4人
日本:1人
-----

このうちドイツの2人とフランスのうち2人はERASMUS等の交換留学生。
一からすべて自分でコーディネートしなければならなかった身としては、大学がサポートしてくれる交換留学制度を使うなら手続きも楽だろうと勝手に思っていたが、そうでもないらしい。
彼らは彼らで、現地に来てからも、自国大学に提出しなければならない課題やら公文書やらでとても忙しそうにしている。

ただ、ビザ(滞在許可)に関してはEEA(欧州経済領域)か否かで圧倒的な差がある。
南の方のヨーロッパよりも、よほどアイスランドと歴史的に関係が深いはずのカナダやアメリカも例外ではないらしい。
ちなみにアイスランドはEU未加盟。いまとなってはそれもどうなるか分からないが。
ビザに関してはもっと時間ができたら別枠でまとめたい。
言いたいことがたくさんあるし、(いるかどうかわからないが)後続のためにも!

…話がそれた。
クラスメイトの専門は、文学、言語学、文献学、哲学、神話学、そして歴史といろいろ。
13人以外にも、別のコースに所属しながらMISの授業を聴講している学生もいる。
当たり前かもしれないが、本国にスカンディナヴィア学の専門課程がないところからの参加者が多い(自分も含めて)。

大学に専門課程がないということは、関連資史料のそろった図書館が利用できないということを意味する。
アルゼンチンでMAまで取っているクラスメイトは、自分がアイスランド史の勉強を続けるために、いかに個人的に時間と手間とコストをかけなければならなかったかを力説していた。非常に共感できた。
そのような環境にあるため、彼は史料/二次文献を問わず、オンラインソースに非常に詳しい。

実際、古北欧語文献のオンライン化は、サガを中心にかなり進んでいる。
いろいろなサイトがあるが、Old Norse Texts Online がいまのところ一番体系的に情報をまとめていると思う。
テクストに比べ見落とされがちな二次文献については、圧倒的にここが使える(テクストもある)。
その他さまざまな北欧学関連リンク集としておすすめは、ケンブリッジのパトリシア・P・ボウリョーザのHP。

Googleブックス問題も記憶に新しく、お金や権利の問題をいいかげんにしてはいけないのも分かるが、それにしたって書物は読まれなければ意味がないんじゃないだろうか。


某大学書庫の革表紙の書物のように、大事に保管されながら100年以上も一度も開かれないまま朽ち果てていくよりは、ぼろぼろになって最後は古紙回収に出されても、誰かの記憶に何かを残す本の方が幸せじゃないかと思う。
(電子データは擦り減らないけど)

2009-10-01

"þeim var ek verst, er ek unna mest" --Laxdæla saga

「わたしは一番愛した人に、一番ひどい女だったわ」

»»»
「アイスランド人のサガ」の授業が、今週から『ラックスデーラ・サガ』に入った。
タイトルは、数あるサガの名言の中でもあまりに有名な台詞。
(殆どのアイスランド人は暗唱できるとTorfiが言っていた)

生涯で4人の夫を持った、美しく気高いアイスランド版 “傾城の美女”、グズルーン・オースヴィーヴルスドッティル。
年老いて最後の夫とも死別した彼女は、ある日最愛の息子にこう尋ねられる。

「あなたがその生涯で一番愛したのは、いったい誰だったのですか?」
 --"Hverjum hefir þú manni mest unnt?"

その答えが冒頭のことば。
(訳はニュアンスを足しているので直訳ではない)

今日の授業では、サガ解釈上のキータームの一つである “曖昧さ ambiguity” の例として、グズルーンのこのことばが示唆するのは誰なのかが話題になった。
Torfiは3つの可能性を挙げていた。
 ひとつは、「神」(キリスト教の)
  ——グズルーンは晩年修道女となったので、もっとも愛すべきは神でなければならない。
 ひとつは、ボッリ。
  ——3番目の夫であり、グズルーンは彼に乳兄弟殺しの罪を負わせ、結果として彼自身の死も招く。
 もうひとつは(もっとも人口に膾炙している説だが)、キャルタン。
  ——グズルーンとキャルタンは若い頃恋仲だったものの、結ばれることはなく、運命の流転の末、最終的にはグズルーン自身がキャルタンの殺害を主導する。

サガにおいて、個人の心理描写や感情に焦点が当たることは珍しい。
『ラックスデーラ』はその意味で、際だって「ロマンティック」なサガだそうだ。
全体を通して、グズルーンをはじめとする女性キャラクターが男性よりも個性的でアクティヴな点も特異。
ちなみにこのサガのメインとなる血讐(キャルタンとボッリの殺害)の糸車を回すのは、グズルーンとキャルタンの母ソルゲルズ(エギル・スカッラグリームソンの娘)のふたりの女性。
さらに、一方的に離婚した夫に対し自ら武器を取り復讐する妻のエピソードが2つもある。

……「ロマンティック」というには女性が強すぎないか?

ソルゲルズがボッリ殺害の現場まで乗り込み、息子たちに、さっさと「胴と首を切り離しておしまい!」とけしかける場面なんて壮絶。

ほかにもファッションへの異例の関心の高さなどから、作者(or 語り手)として女性を想定する説も有力らしい。
例えば以下。
≫Helga Kress, “"Mjög mun þér samstaft þykkja": um sagnahefð og kvenlega reynslu í Laxdæla sögu.” in Konur skrifa: til heiðurs Önnu Sigurðardóttur, Valborg Bentsdóttir, Guðrún Gísladóttir & Svanlaug Baldursdóttir. Reykjavík: Sögufélag, 1980.

もちろんサガのキャラクターが中世の現実の女性像を示している保証は無いわけだが、これが実像だと言われてもそれほど違和感はない。
今のアイスランドの首相も女性だしね。

個人的には、グズルーンが仄めかした相手はやっぱりキャルタンだと思う。
明確な根拠を挙げられるわけではないが、全体を読んだ印象として。
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