2011-04-08

"MA in Medieval Icelandic Studies" í framtíð

「中世アイスランド学修士課程」の未来
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今日は後期の授業最終日。午後には、コースの先生と生徒で、総括のミーティングが持たれた。
それについて、少し思うところがあった。

コーヒーとクレイヌル(アイスランドのドーナツ)を囲みながらのミーティング。
最初はいくつかの連絡事項。
たとえば、5月に予定されていた集中講義が、講師の体調が思わしくなく、キャンセルされたことなど。講師はソルボンヌ大学のドミニク・バルテルミーだった、と聞いてびっくり。知らなかった!
体調次第では秋の渡氷も考えているようだが、その頃には日本に帰っているだろう。とても残念だ。最近とくに、修論のために紛争史研究について勉強し直しているので、5月に講義があれば尋ねたいことはたくさんあったのに。

そのあとで、授業やコースにかんする談義に移った。
前にも書いたように、このコースは2012年9月から、2年間の「北欧中世学」へ発展する。今はその準備中で、どんなプログラムにするか、色々と議論されているようだ。
そのためにも、今の生徒たちからフィードバックを得たいということで、かなり長いミーティングになった(1時間は越えた)。

いちばん話題になったのは、語学の授業に関して。
現状では、前期に「古アイスランド語入門」と「テクスト読解I」があり、後期に「テクスト読解 II」がある。
「古アイスランド入門」は前にも書いたが、総じて生徒間での評価は高い。
教える側には、語学の十分な知識をもつ生徒にとっては入門的すぎるのではないか、という懸念もあったようだが、言語学の生徒も、それでも学ぶところが多かった、と答えていた。
むしろ前期だけでは足りないので、後期にも続編の授業をつくってほしい、という要望も、去年からあった。

自分としても、この授業は秀逸だと思う。
授業の進め方が丁寧で、古北欧語は独学でしか勉強していなかった自分でもなんとかついて行けたし、授業の前半で文法事項について講義、後半でテクストを丁寧に読んでゆき(訳すだけではなく、文法要素の分析も含む)、講義で習った文法知識を実践にうつす、というやり方は、古北欧語の理解に大いに役立った。
生徒自身が順番に訳すので、毎授業の予習は大変だったが、回を重ねるごとに徐々に力がついてゆくのが実感できたので、やりがいがあった。

なにより講師のハラルドルは、生徒の質問や意見を、初歩的なものだろうと生徒の大半には理解不能な深い言語学の話であろうと、けっして邪険にせず真摯に聞いてくれたので、各自が自分のレベルに応じた成果を得ることができたように思う。

それに対して、「テクスト読解」(前期のシラバス)については、去年から問題視する声は多かった。
私自身は去年しか受けていないが、コメントを聞いていると、今年も授業のやり方はそれほど変わらなかったらしい。
おおまかにいえば、この授業ではさまざまな種類の古アイスランド語のテクストを読む。
生徒は事前に課題として出されたテクストを読んできて、授業で講師の解説を聞く。同時に、そのテキストの性質や時代背景なども簡単に説明される。成績評価は中間・期末テストと短いエッセイによる。
これは、論文以外では唯一の必修授業なので、学位取得をめざすなら必ず受けて、合格点を取らなければならない。

今日のミーティングでも、この授業に関してはさまざさまな角度から意見が出された。
ただ気になったのは、「北欧語の予備知識があまり無い生徒には難しすぎる」「課題が多すぎる」 というような意見が目立ったことだ。

たとえば、読むテクストの選択について、「アイスランド人の書」や「ランドナーマボーク」から始めるのは難しすぎる、という意見もあった。たしかに、ほかのポピュラーなサガに比べれば、ラテン語修辞法の癖も強い「アイスランド人の書」は読みにくいだろう。だけど、テクストを読みながらアイスランド文学の流れを把握するという目的からすれば、「アイスランド人の書」から始まるのは妥当だと思う。
難しいっていったって、英訳も出回っているわけだし。
Wikiソースの訳は意訳も多いので逐語訳に参照するにはあまり向かない。Siân Grønlie. 2006. Íslendingabók. Kristni saga. The Book of the Icelanders. The Story of the Conversion の方が、原文に忠実で使える。VIKING SOCIETY WEB PUBLICATIONSからダウンロード可能。)

成績評価の不透明さ、フィードバックがない、翻訳の仕方が恣意的で納得できる文法的説明がされない、授業で何が求められているのかがわかりにくい(予習で翻訳を課しているのに、授業中に生徒が当てられて訳すことは殆どないとか)などの意見は去年も出ていたし、個人的にも改善されるべき点だと思う。
だけど、去年は課題の多さやテクストの難解さが授業の問題点として指摘されたことはなかったはずだ。(生徒間で愚痴を言い合うことはもちろんあったが)
「アイスランド人の書」や「高き者の言葉」が原語で読むには難しいから避けたほうがいいというのは……難しいからこそ、授業で読む意味があるんじゃないだろうか。

コースの運営陣としては、いまの「テクスト読解」を2段階に分け、前期は入門として、テクストを英語訳で広く読んで全体像を把握し、後期から本格的に原文テクストの翻訳、解釈に取り組む、という構成案があるらしい。
これには、英語でテクストを読むのには賛成できない、と意見してみた。
たとえ難しくても、原語で読むのに意味があるんじゃないか、と。
翻訳を読むのに意味がないわけではない。原文を読むのは大変だし時間もかかるので、サガの全体を読み通したいときや話の内容を思い出したいときには、私だって今でも翻訳を使う。
だが、翻訳にはもちろん誤訳もあるし、解釈の違いもある。
せっかくアイスランドにいて、スペシャリストが周りにいくらでもいて、わからないことがあれば気軽に質問できる環境にいるのだから、たとえ読むスピードが落ちて多くの史料を扱えないにしても、英語でそれより少し多くのテクストを読むよりは、実りがあるんじゃないだろうか。
英訳なら、わざわざ授業で読まなくても個人で読めるわけだし。

「テクスト読解」を入門/発展の2段階にわけたとしても、後期ではちゃんと原文テクストを読む、といっていたが、後期(1月〜4月)ははっきり言って短い。
イースターで中断されることもあるし、2月あたりから論文指導が始まると、授業の課題に集中することも難しくなる。
秋から原文を読み続けていれば後期には慣れるが、後期からいきなり原文を読み始めたら、慣れてきたかと思った頃には、もう学期が終わっているだろう。

実をいえば、他の授業でも、テクストの英訳を使うのはどうなんだろう、と思っていた。
このコースは英語で学べることを利点のひとつとしていて、基本的に、「古アイスランド語入門」「テクスト読解」以外の授業では、アイスランド語の理解を求められない。
レポートでも、原語のテクストや現代アイスランド語の二次文献を読むことは、望ましいが必須ではない。
英訳を読みたいなら自分で探すだろうし、基本的に使うテクストは原語で良いのでは?
翻訳をつかっていると、しばしば先生が授業中に誤訳を発見することもあるし、結局詳細な議論をするときには原文を参照することになる。

ミーティングでは、ロシア人の友達が、自分がヘイムスクリングラを授業で初めて原語で読んだときに、翻訳との間に大きな印象の違いをもったと言って賛成してくれた。
原史料にふれる機会をできるだけ多く持つのが重要だ、というのは運営側もわかっていると言っていたので、心配するほどのことでもないかもしれない。

時間にも講師にも限りのある状況で、すべてのニーズに応えるのは到底無理だろう。
まして、専門分野も語学レベルも関心の在処もかなりバラバラな10〜20人の生徒を相手にするとすれば、ニーズの内容を把握するだけでも大変だと思う。
そのなかで、今日のようにミーティングを持ったり、普段の授業でも生徒一人一人に声を掛けて意見を聞こうとする運営側の先生方の努力は、掛け値なしに尊敬に値する。

だが、生徒の意見をきくのは、コースを「易しく」するためではなく、実り多きものにするためであるべきだ。
たとえ授業の負担を減らして、みんなが一年間のアイスランド生活を楽しんで、たのしかった、良いコースだったと言いながら帰って行ったとしても、そこから実力のある学者は育たないだろうし、長い目で見ればそれは、運営側にとってもマイナスにしかならないだろう。

もちろん、この修士課程で勉強したからといって皆が研究者になるわけではないし、博士課程に進むわけでもない。だとしても、このコースは少なくとも英語圏でアイスランド語を読まない「アイスランド学者」を増やすためにあるわけじゃない。

と、少し先行きが不安になってしまったのだが、アイスランドの良いところはとにかく柔軟なことだ。
このコースにしても、2005年の創設から6年たった今でも試行錯誤を繰り返し、より良いものにしてゆこうという熱意がある。2年通して参加したので、それは強く感じた。
年々増えているという入学希望者のためにも、「中世アイスランド学修士課程」の未来が明るいことを願いたい。

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