2009-10-31

"Guð blessi Ísland"

「アイスランドに神の御加護がありますように」

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blessarではなくblessiなので接続法(<blessa)。
2008年10月6日に、ときのハーデ首相がアイスランドのKreppanが始まったことを告げるスピーチの中で発した言葉。
と同時に、それからちょうど一年後の2009年10月6日に封切りとなったドキュメンタリー映画のタイトルでもある。
>公式HP:Felixfilm

2009-10-24

fyrsti vetrardagur

今日は「冬の初めの日」らしい。
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Fyrsti vetrardagur
・北欧の古暦(Norræna tímatalið:ユリウス暦導入以前に北欧で使われていたもの)で、夏の第26週の最終土曜日 = 冬の最初の月(Gormánuður) の初日
・現行暦では10月21-27日のどこか
(ágrip úr Wikipediu)

Norræna tímatalið については『アイスランド人の書』第4章に暦の数え方とその修正についての記事がある。
Íslendingabók - heimskringla.no: "4. Frá misseristali."
中間テストのために原語で読んだものの、数字に弱い自分には単語の意味が分かっても計算の仕方が分からなかった。

今日はスーパーに行ったら羊肉のスープ kjötsúpa を紙コップで配っていた。「冬の初めの日」にはそういう慣習があるらしい。
ダウンタウンの方では、牧羊協会後援のお祭りも開かれていたようだ。

ちなみに以下にスープのレシピが載っている。
>IcelandReview: "kjötsúpa is the best cure for short-day depression and a vitamin boost for those suffering from a relentless cold."

……これから先の冬が待ち遠しくなるような説明だ。

2009-10-23

Finnst þér gaman að læra forníslensku?

「古アイスランド語の勉強は楽しいですか?」
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今日は古アイスランド語の中間テストがあった。頭の中をパラダイムが浮遊している。
「古アイスランド語入門」は週2コマの文法の授業で、もはや古典といえるゴードンをテキストとしている。
» E.V. Gordon, An introduction to Old Norse, 2nd ed. revised by A.R. Taylor (Oxford: Clarendon Press, 1957).

授業は前半の文法解説と、後半のテキスト読解との2部構成で進む。
テキストの方では単に文の意味を取るだけではなく、単語ごとの文法要素を分析してゆく(品詞、性・数・格、人称・時制 etc...)。
予習は大変だが、とても訓練になる。

それにしても、知れば知るほどアイスランド語は文法要素の見本市のようだ。
基本変化にようやく慣れたと思ったら、アプラウトとかウムラウトとかブレーキングとかでまた色々とかたちが変化する。
 それでも、先生のハラルドゥル Haraldur Bernharðsson はとても楽しそうにアイスランド語の話をするので、かなり救いになる。

今週の授業では男性名詞 maðr (=a man) の不可思議な変化の理由を説明してくれた。
(cf. 現代語版変化表:Beygingarlýsing íslensks nútímamáls
例えば複数主格の mann-ir が menn になるまでには、以下のような「ストーリー」がある。
mann-ir > menn-ir > menn-r > menn-n > menn
(i-umlaut + syncope > assimilation)

こういう話を聞いていると、アイスランド語にはまる人たちの気持ちが少し分かる気がする。
たくさんの法則を駆使して不可解な現象を読み解く、ということ自体はよく出来たパズルのようで楽しいと思えなくもない。
あくまで謎解きを楽しむ時間があればの話だが。

クラスメイトのアイスランド語に対する習熟度もさまざまで、先生と互角に語学談義を交わす生徒もいれば、毎回のパラダイムの小テストに四苦八苦する者もいる(私は当然後者)。

そういえば今日は、テスト後にアールニ・マグヌースソン写本研究所(Stofnun Árna Magnússonar á Íslandi)の方に移動して(といっても同じ建物だが)、Codex Regius の本物を見ながら授業をするという粋な計らいがあった。

「王の写本」Codex Regius と呼ばれる写本はいくつかあるが、「スノッリのエッダ」の主要写本である GKS 2367 4to の方。
作成年代は1300-1325年。四折版で、ペーパーバックのゴードンより少し大きいくらい。
皮紙は黒ずんでいて装飾も少ないが、字体はびっくりするほど綺麗で、ぱっと見ただけでもかなりの文字が判別可能なほど。

さすがに有名な写本なので、クラスメイトのテンションも上昇気味だった。
1971年4月21日に、コペンハーゲンよりアイスランドへ返還された最初の写本のうちの一つ。
その際のセレモニーの様子は今もカルチャー・ハウスという博物館で見られるが、もう一つの「フラート島写本」が大きくて装飾も美麗なのに対して、Codex Regius の地味さは逆に目立つ。
しかし、その内容の価値は計り知れない。

現在はアールニ研究所ではなく、カルチャー・ハウス(The Culture House)で常設展示されている。

2009-10-14

Laxdœla saga 2

やる気が出ないときは嫌でもモチベーションの上がる仕事をするに限る。
というわけでサガを読もう。
「ラックスデーラ」の授業が先週で終わったので、忘れないうちに文献情報をまとめておきたい。
といっても、授業で言及されたトピックすべては書ききれないので、とくに面白かった数点のみ。
「ラックスデーラ・サガ」Laxdœla saga
このサガで何よりも印象深いのは女性の存在感、というのは前に述べた。
もしヒロインのグズルーンが男性だったら、このサガは「ラックスデーラ・サガ = 鮭谷の人々のサガ」ではなくて「グズルーンのサガ」と呼ばれていただろうと言った研究者もいるらしい。名前を聞き漏らしたが。
(後日、言及見つけた>Auerbach, Loren, "Female experience and authorial intention in Laxdæla saga". 1998. Saga-book, vol. 25, part 1, 1998, s. 30-52)


右の絵は、1993年にMál og menning社から出た一般向けのテクストの表紙。
» Laxdæla saga með formála, skýringum og skrám (Sígildar sögur 3), Aðalsteinn Eyþórsson & Bergljót S. Kristjánsdóttir (eds.), Reykjavík: Mál og menning, 1993.
15歳のグズルーンが見る夢に出てくる象徴で、それぞれが将来の4人の夫を表している。
(気に入らない帽子→手に入れてすぐに失う銀の腕輪→ひびだらけの黄金の腕輪→重すぎる黄金の兜)

この刊本は現代語綴り、注記なしだが、かなり詳しい序文と解説(語句・事物の注解、地図、系図等)、人名・地名索引が付いているのでサガを読むにはとても親切な構成。全部アイスランド語だが。

*植民譚
サガが植民者への言及から始まるのは常套だが、「ラックスデーラ」ではその中心も女性で、平鼻のケティルの娘、深慮のウン。
「ラックスデーラ」の主要写本である Möðruvallabók (AM 132 fol.,1330-70) では、彼女の名は Unnr で、異教徒(船葬される)として描かれている。
しかし、ランドナーマ・ボークでは Auðrという名で、「敬虔なキリスト教徒」と言及される。大きな違いである。
来週から本格的に読み始める「エイルビュッギャ・サガ」も始まりは同じ植民者からだが、そこでも Auðr。

*シグルズ伝承
グズルーン—キャルタン—ボッリのトライアングルについては、シグルズ伝承(いわゆるジークフリート伝説)のブリュンヒルドーシグルズーグンナルのモチーフとのつながりが早くから指摘されている。
とはいえ、グズルーンはキャルタンを殺させた後も長生きするし、キャルタンと結婚したフレヴナのほうが「悲しみに胸が張り裂けて」早世するので、シグルズ伝承のグズルーン(まぎらわしい…)のような壮絶な復讐はしないのだが。
これについては Rolf Heller という研究者が1960年頃からたくさんドイツ語で書いている。

*王権との関係
アールマン・ヤコブソンは、「ラックスデーラ・サガ」は「アイスランド人のサガ(家族サガ)」ではなく「王のサガ」に分類すべきだと主張した。
» Ármann Jakobsson, "Konunga saga Laxdœla", Skírnir 172 (1998), 357-83.

さらに、王のサガの編纂は、13世紀のアイスランドが、ノルウェー王国の一部となるために進めていた王権像の模索の一環だという大胆な主張が、修論をもとにした本書 ↓
» Ármann Jakobsson, Í leit að konungi: Konungsmynd Íslenskra Konungasaga, Reykjavík, 1997. (『王を探して:アイスランドの王のサガの王権像』)

大学の書店には平積みになっているが、英訳は出ないのだろうか?
ちなみにアールマンはアイスランド大学の助教授で、MISの運営委員でもあるのでよく見かける。今度聞いてみよう。

書いているものはここで確認できる。最近は Íf のモルキンスキンナの刊行作業にかかりきりらしい。

1240-50年代のアイスランドは、ノルウェー宮廷/王権との距離が著しく近くなる。
それと同時にアイスランド内部の闘争はエスカレート。
そういう状況が同時期に進んでいたサガの編纂に影響を与えていたというのは容易いが、いったい何を根拠にすればそれを「証明」できるのだろうか?

2009-10-09

bifröst, bekkurinn og netið


虹とクラスとインターネット
≫≫≫
今日は朝から嵐。
比喩ではなくリアルに飛ばされかけた。
でも嵐が去った後には虹が。

左下の赤い建物は国立兼大学図書館。
大きすぎて全体がフレームに入らなかっただけだが、ちょうど図書館からアースガルドに通じるビフロストに見えなくもない。

9月頭から始まった秋学期も半分が過ぎた。
来週は vinnuvika = work week という名の中休みで、一週間授業がない。
といっても山ほどの宿題と休み明けの中間テストがあるので、殆ど「休み」ではないが。

渡氷の遅れていたフランス人のクラスメイトが今日やっと到着したので、遅すぎる気もするが、クラスの紹介でもしようと思う。

私の所属するコース(MA in Medieval Icelandic Studies、略してMIS)は、2005年に外国人学生専用コースとして新たに設置されたもので、英語で授業を受けて英語でMA論文を書けば、1年〜1年半(論文の進度による)でMAが取得できるというもの。
アイスランド大学人文学部アイスランド語・比較文化学科とアールニ・マグヌースソン写本研究所との共催。
中世アイスランド学に関する学際的な基礎知識の提供を意図してるが、なかでも生徒各自が、実際にマニュスクリプトを自分で読んで解釈できるようにすることをコースの目標として掲げている。
公式HP

今年度の生徒は13人。出身地の内訳は以下の通り。
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アメリカ:2人(ひとりはロシア→アメリカ移民)
アルゼンチン(スペイン国籍所有):1人
カナダ:1人
ガリシア(本人は決してスペインとは言わない):1人
チェコ共和国:1人 
ドイツ:2人
フランス:4人
日本:1人
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このうちドイツの2人とフランスのうち2人はERASMUS等の交換留学生。
一からすべて自分でコーディネートしなければならなかった身としては、大学がサポートしてくれる交換留学制度を使うなら手続きも楽だろうと勝手に思っていたが、そうでもないらしい。
彼らは彼らで、現地に来てからも、自国大学に提出しなければならない課題やら公文書やらでとても忙しそうにしている。

ただ、ビザ(滞在許可)に関してはEEA(欧州経済領域)か否かで圧倒的な差がある。
南の方のヨーロッパよりも、よほどアイスランドと歴史的に関係が深いはずのカナダやアメリカも例外ではないらしい。
ちなみにアイスランドはEU未加盟。いまとなってはそれもどうなるか分からないが。
ビザに関してはもっと時間ができたら別枠でまとめたい。
言いたいことがたくさんあるし、(いるかどうかわからないが)後続のためにも!

…話がそれた。
クラスメイトの専門は、文学、言語学、文献学、哲学、神話学、そして歴史といろいろ。
13人以外にも、別のコースに所属しながらMISの授業を聴講している学生もいる。
当たり前かもしれないが、本国にスカンディナヴィア学の専門課程がないところからの参加者が多い(自分も含めて)。

大学に専門課程がないということは、関連資史料のそろった図書館が利用できないということを意味する。
アルゼンチンでMAまで取っているクラスメイトは、自分がアイスランド史の勉強を続けるために、いかに個人的に時間と手間とコストをかけなければならなかったかを力説していた。非常に共感できた。
そのような環境にあるため、彼は史料/二次文献を問わず、オンラインソースに非常に詳しい。

実際、古北欧語文献のオンライン化は、サガを中心にかなり進んでいる。
いろいろなサイトがあるが、Old Norse Texts Online がいまのところ一番体系的に情報をまとめていると思う。
テクストに比べ見落とされがちな二次文献については、圧倒的にここが使える(テクストもある)。
その他さまざまな北欧学関連リンク集としておすすめは、ケンブリッジのパトリシア・P・ボウリョーザのHP。

Googleブックス問題も記憶に新しく、お金や権利の問題をいいかげんにしてはいけないのも分かるが、それにしたって書物は読まれなければ意味がないんじゃないだろうか。


某大学書庫の革表紙の書物のように、大事に保管されながら100年以上も一度も開かれないまま朽ち果てていくよりは、ぼろぼろになって最後は古紙回収に出されても、誰かの記憶に何かを残す本の方が幸せじゃないかと思う。
(電子データは擦り減らないけど)

2009-10-07

á leið til skóla


登校中。
≫≫≫

語学の授業のため、毎朝8時過ぎに学校へ行く。
日が短くなってきたので、8時過ぎでも「夜明けとともに出勤」の気分を味わえる。

右手にみえる四角い建物がアイスランド大学の本部校舎。
大学の建物は Oddi とか Lögberg(「法の岩」→法学部)とか Gimli とか、アイスランドの神話や歴史から名前を取っているものも多いが、この建物は単純に Aðalbygging = ‘main building’。

ちなみに昨日、ついに平地にも雪が積もった。
街の真ん中にある池(Tjörnin: ‘the pond’) の一部も凍っていた。真冬には完全に凍ってスケートができるらしい。

滅多に雪が積もらない場所で育った身としては、真っ白な山脈が連なる光景なんかには感動すら覚えるけれど、それにしても寒すぎる。
これでまだ10月か……。



2009-10-03

snævi þakta Esjan


◀雪のEsja。

≫≫≫
アイスランドに来てから全く写真を撮っていないことに気づき、今日はめずらしく天気が良かったので買い出しがてら海岸沿いを散歩。

ここ数日寒かったので、気づけばエーシャに雪が積もっていた。
エーシャは今ではレイキャヴィークのシンボルとなっている山。
そこには13人のサンタクロースが住んでいて、クリスマスが近づくと1人ずつ町へ下りてくるという。

ちなみにこの前のカンファレンスの地名学の報告によれば、"Esja" もゲール語由来らしい。
Esjaという名のアイルランド出身女性にちなんでいるようだが、情報源となっているサガ(Kjarnesinga saga)は未読なので詳しいことは知らない。
ただ、"Esja" はその姿に見合った美しい響きだと思う。

天気が良いので暖かそうに見えるが、今日の気温は3℃。
写真を撮るために手袋を外したら、一瞬で手がかじかんだ。

2009-10-01

"þeim var ek verst, er ek unna mest" --Laxdæla saga

「わたしは一番愛した人に、一番ひどい女だったわ」

»»»
「アイスランド人のサガ」の授業が、今週から『ラックスデーラ・サガ』に入った。
タイトルは、数あるサガの名言の中でもあまりに有名な台詞。
(殆どのアイスランド人は暗唱できるとTorfiが言っていた)

生涯で4人の夫を持った、美しく気高いアイスランド版 “傾城の美女”、グズルーン・オースヴィーヴルスドッティル。
年老いて最後の夫とも死別した彼女は、ある日最愛の息子にこう尋ねられる。

「あなたがその生涯で一番愛したのは、いったい誰だったのですか?」
 --"Hverjum hefir þú manni mest unnt?"

その答えが冒頭のことば。
(訳はニュアンスを足しているので直訳ではない)

今日の授業では、サガ解釈上のキータームの一つである “曖昧さ ambiguity” の例として、グズルーンのこのことばが示唆するのは誰なのかが話題になった。
Torfiは3つの可能性を挙げていた。
 ひとつは、「神」(キリスト教の)
  ——グズルーンは晩年修道女となったので、もっとも愛すべきは神でなければならない。
 ひとつは、ボッリ。
  ——3番目の夫であり、グズルーンは彼に乳兄弟殺しの罪を負わせ、結果として彼自身の死も招く。
 もうひとつは(もっとも人口に膾炙している説だが)、キャルタン。
  ——グズルーンとキャルタンは若い頃恋仲だったものの、結ばれることはなく、運命の流転の末、最終的にはグズルーン自身がキャルタンの殺害を主導する。

サガにおいて、個人の心理描写や感情に焦点が当たることは珍しい。
『ラックスデーラ』はその意味で、際だって「ロマンティック」なサガだそうだ。
全体を通して、グズルーンをはじめとする女性キャラクターが男性よりも個性的でアクティヴな点も特異。
ちなみにこのサガのメインとなる血讐(キャルタンとボッリの殺害)の糸車を回すのは、グズルーンとキャルタンの母ソルゲルズ(エギル・スカッラグリームソンの娘)のふたりの女性。
さらに、一方的に離婚した夫に対し自ら武器を取り復讐する妻のエピソードが2つもある。

……「ロマンティック」というには女性が強すぎないか?

ソルゲルズがボッリ殺害の現場まで乗り込み、息子たちに、さっさと「胴と首を切り離しておしまい!」とけしかける場面なんて壮絶。

ほかにもファッションへの異例の関心の高さなどから、作者(or 語り手)として女性を想定する説も有力らしい。
例えば以下。
≫Helga Kress, “"Mjög mun þér samstaft þykkja": um sagnahefð og kvenlega reynslu í Laxdæla sögu.” in Konur skrifa: til heiðurs Önnu Sigurðardóttur, Valborg Bentsdóttir, Guðrún Gísladóttir & Svanlaug Baldursdóttir. Reykjavík: Sögufélag, 1980.

もちろんサガのキャラクターが中世の現実の女性像を示している保証は無いわけだが、これが実像だと言われてもそれほど違和感はない。
今のアイスランドの首相も女性だしね。

個人的には、グズルーンが仄めかした相手はやっぱりキャルタンだと思う。
明確な根拠を挙げられるわけではないが、全体を読んだ印象として。
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