2009-10-14

Laxdœla saga 2

やる気が出ないときは嫌でもモチベーションの上がる仕事をするに限る。
というわけでサガを読もう。
「ラックスデーラ」の授業が先週で終わったので、忘れないうちに文献情報をまとめておきたい。
といっても、授業で言及されたトピックすべては書ききれないので、とくに面白かった数点のみ。
「ラックスデーラ・サガ」Laxdœla saga
このサガで何よりも印象深いのは女性の存在感、というのは前に述べた。
もしヒロインのグズルーンが男性だったら、このサガは「ラックスデーラ・サガ = 鮭谷の人々のサガ」ではなくて「グズルーンのサガ」と呼ばれていただろうと言った研究者もいるらしい。名前を聞き漏らしたが。
(後日、言及見つけた>Auerbach, Loren, "Female experience and authorial intention in Laxdæla saga". 1998. Saga-book, vol. 25, part 1, 1998, s. 30-52)


右の絵は、1993年にMál og menning社から出た一般向けのテクストの表紙。
» Laxdæla saga með formála, skýringum og skrám (Sígildar sögur 3), Aðalsteinn Eyþórsson & Bergljót S. Kristjánsdóttir (eds.), Reykjavík: Mál og menning, 1993.
15歳のグズルーンが見る夢に出てくる象徴で、それぞれが将来の4人の夫を表している。
(気に入らない帽子→手に入れてすぐに失う銀の腕輪→ひびだらけの黄金の腕輪→重すぎる黄金の兜)

この刊本は現代語綴り、注記なしだが、かなり詳しい序文と解説(語句・事物の注解、地図、系図等)、人名・地名索引が付いているのでサガを読むにはとても親切な構成。全部アイスランド語だが。

*植民譚
サガが植民者への言及から始まるのは常套だが、「ラックスデーラ」ではその中心も女性で、平鼻のケティルの娘、深慮のウン。
「ラックスデーラ」の主要写本である Möðruvallabók (AM 132 fol.,1330-70) では、彼女の名は Unnr で、異教徒(船葬される)として描かれている。
しかし、ランドナーマ・ボークでは Auðrという名で、「敬虔なキリスト教徒」と言及される。大きな違いである。
来週から本格的に読み始める「エイルビュッギャ・サガ」も始まりは同じ植民者からだが、そこでも Auðr。

*シグルズ伝承
グズルーン—キャルタン—ボッリのトライアングルについては、シグルズ伝承(いわゆるジークフリート伝説)のブリュンヒルドーシグルズーグンナルのモチーフとのつながりが早くから指摘されている。
とはいえ、グズルーンはキャルタンを殺させた後も長生きするし、キャルタンと結婚したフレヴナのほうが「悲しみに胸が張り裂けて」早世するので、シグルズ伝承のグズルーン(まぎらわしい…)のような壮絶な復讐はしないのだが。
これについては Rolf Heller という研究者が1960年頃からたくさんドイツ語で書いている。

*王権との関係
アールマン・ヤコブソンは、「ラックスデーラ・サガ」は「アイスランド人のサガ(家族サガ)」ではなく「王のサガ」に分類すべきだと主張した。
» Ármann Jakobsson, "Konunga saga Laxdœla", Skírnir 172 (1998), 357-83.

さらに、王のサガの編纂は、13世紀のアイスランドが、ノルウェー王国の一部となるために進めていた王権像の模索の一環だという大胆な主張が、修論をもとにした本書 ↓
» Ármann Jakobsson, Í leit að konungi: Konungsmynd Íslenskra Konungasaga, Reykjavík, 1997. (『王を探して:アイスランドの王のサガの王権像』)

大学の書店には平積みになっているが、英訳は出ないのだろうか?
ちなみにアールマンはアイスランド大学の助教授で、MISの運営委員でもあるのでよく見かける。今度聞いてみよう。

書いているものはここで確認できる。最近は Íf のモルキンスキンナの刊行作業にかかりきりらしい。

1240-50年代のアイスランドは、ノルウェー宮廷/王権との距離が著しく近くなる。
それと同時にアイスランド内部の闘争はエスカレート。
そういう状況が同時期に進んでいたサガの編纂に影響を与えていたというのは容易いが、いったい何を根拠にすればそれを「証明」できるのだろうか?

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