2010-10-29

Meistara- og doktorsdagur Hugvísindasviðs

研究発表をした。

Meistara- og doktorsdagur Hugvísindasviðs 2010 | Háskóli Íslands
これは、人文学科の大学院生だけを集めた研究発表会で、去年から発足したらしい。
今回は、以下の7つのセッションが組まれた。

Ⅰ- 中世アイスランド学
Ⅱ- 文学・翻訳・演劇
Ⅲ- 英語学
Ⅳ- アイスランド文学・言語学
Ⅴ- 歴史学
Ⅵ- 神学・宗教学・哲学
Ⅶ- 考古学



私はほかのクラスメイト3人と一緒に「中世アイスランド学」の枠で発表した。
発表のタイトルは "No More a Feuding Society?: Legal Practice and Kingship in 13th-Century Iceland"。

第一の感想は、問題意識や関心の異なる聴衆に向けて話すのは、予想以上に難しいということ。
今期のMISのクラスメイトには歴史畑の人間がいないので、最近は常に感じていたことではあるけれど。

どんな人が聞きに来るのか予想がつかなかったが、とりあえず留学生のみの「中世学」というコースのセッションだし、なぜ外国人が中世アイスランドに興味を持つのか、ということを説明する必要があるのかとおもって、紛争研究という視角から13世紀アイスランドを研究する意義、などを述べてみたが、結果的にはあまり反応がなかった。

聴衆の大半は、おなじMISコースの関係者だったということもあるだろうが、みんな中世アイスランド研究に価値を認めているからこそ此処にいるわけで、いまさら「なんで中世アイスランドがおもしろいのか」なんて自明のことだったようだ。
日本で発表するのとはまず大きな違いである。

加えて、中世における紛争史のおもしろさもいまいち伝えきれなかったようだ。
殆どが文学や神話学からアイスランドのテクストに興味を持っている人々だったので、個々のテクストに対する新解釈などの話はおもしろいようだが、13世紀後半のアイスランドで、実際どのように紛争が解決されていたか、そこにどんな力学が働いていたのか、それがどうして「国家形成」に繫がるのか ----というような話にはあまり興味がないらしい。

そこで気づいたことがひとつ。
歴史家は往々にして、フィクション(サガ)の世界から現実社会の在り方を照らしだす要素を見出そうとするけれど、文学者や文学史家は、フィクションの解釈に使えそうな要素を(歴史的)現実社会から引き出そうとする。
2つのアプローチの仕方は、方向が違うだけで同じように見えるかも知れないが、コインの裏表のようなもので、とても近いのだが自然に交わるものではない。

私個人もそうだが、文学研究者が特定のサガの分析時に、書かれた時代の社会背景に言及するのを聞いていると、あまりに単純化された社会像を前提としているように思ってしまうことがよくある。
それと同様に、たとえば私が13世紀の社会を分析するのに、サガの一部の叙述を引き合いに出すことなどは、文学研究を専門にしている人々には、テクスト自体の精査や解釈が甘いと思われているだろう。

その間には架け橋が必要である。

そもそもアプローチの仕方や注目するポイントの違いは、ひとつの対象をさまざまな面から分析することを可能にするわけで、研究の発展に寄与するもののはずである。
けっして、同じ対象にかかわる人々の間の溝を深めるものではない。
分業は可能なはずだし、その結果として、よりクリアな中世アイスランド社会像が見出されることは、少なくとも誰にとっても大事だと思う。

とはいえ現状では、関心の違いや、容易に共感を得られないことをあまり気にせずに、とにかく対話を続けて、相手にとっての重要なポイントを理解する/自分のポイントを伝える努力をすることくらいしか、実用的な対策は思いつかないが。

それでも、ここまで一年半の中世学コースの滞在で、歴史学の世界に留まっていては得られなかったであろうアイデアや知識を得られたのは事実である。
これまでは、それをいまいち自分自身の研究には繋げられなかったが、せっかく2年もアイスランドで「中世学」を学んでいるのに、日本で「西洋史」の学科にいるときと同じことばかりしていても仕方がない。
その点に気づけたことは、今日の大きな収穫だった。

ちなみに、私の史料分析部分の中心は『司教アールニのサガ』だったのだが、あとでアールマン・ヤコブソンに most boring な司教のサガだと言われた。
歴史家にはおもしろいですよ、と言ってはみたが、たしかに私も、あれを読み物として就寝前とかに読む気にはなれない。

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